音への探求:自作オーディオの道
より良い音響体験を追い求め、ほしい機器が市場にないと感じ40代前半よりオーディオ機器の自作に足を踏み入れました。全くの知識がない状態からのスタートであり、眠れない試行錯誤の日々をすごしました。。
工具を扱うことすらままならない状況からの挑戦でしたし、回路図を読み解くのに苦労し、配線を間違えて音が出ないといった失敗を何度も繰り返しました。多くの失敗と試行錯誤を通して、現在の音があると考えています。そして、現時点で良いと感じる音も、時が経てばさらに改善される可能性があることも経験として知っています
そのため、私の自作したオーディオの音を、他の方に強く勧めることはありません。音の好みは人それぞれであり、私が良いと感じる音が、必ずしも全ての方にとって心地よいとは限らないと理解しているからです。
自作オーディオは、自身の理想とする音を追求できる、奥深く魅力的な世界だと感じています。これからも焦らず、楽しみながら、より理想の音を目指していきたいと考えています。
私の場合、機器の開発時間と音楽鑑賞をしている時間を比べると圧倒的に音楽鑑賞をしている時間の方が圧倒的に長いです。
しかしながら、オーディオに関心を持つと、特に機械や電機系の知識に明るい人の場合、スピーカーやアンプのみならず、電源などに使用されている部品、再生方式電源、D/A変換の方式に至るまで、あらゆる要素にこだわりたくなるものだと思います。
優れた音質を求める気持ちは、音楽を愛する多くの方にとってごく自然な感情と言えるでしょう。
ふと立ち止まって考えてみました。
「そもそも、なぜこれほど音質を追い求めてきたのか」
「音質の向上は、本当に音楽を楽しむための手段になっているのか」
今回は、このテーマについて改めて整理してみたいと思います。
音楽鑑賞の本質とは
まず、音楽鑑賞の本質について考えてみます。
音楽を聴く行為の目的は、収録時の演奏者が込めた想いや表現に触れ、感動、癒されるなどの心を動かされることにあると考えます。
楽器の旋律、ハーモニー、演奏者の表情といった要素を通して生まれる感情や情景、それを味わうことこそが音楽を楽しむ体験の主要な部分だと思います。
つまり、音質の良し悪しにかかわらず、音楽から感動を受け取ることができれば、それは十分に価値ある体験であり、本来の目的を果たしていると言えます。学生の時は、ラジカセ(死語)でノイズ混じりのFMラジオでも心を揺さぶられていました。
音質追求の意義と注意点
もちろん、音質向上には明確な意義があります。コンサート会場の音はどんな再生装置よりも勝ります。それと同等の体験いつでも楽しむことができるようにするのがオーディオシステムです。
高品質なオーディオシステムは、演奏の繊細なニュアンスや空間表現、微細な響きをより忠実に再現し、音楽体験を一層深めてくれます。
そのため、音質を高める努力は、自宅においてコンサート会場のように音楽へ没入を容易にするための重要な手段となります。
しかし、注意すべきは、音質追求がそれ自体で目的化してしまう危険性です。
機材のスペックや部品の選定、細かなセッティングに過度に没頭するあまり、肝心の音楽を聴く時間や、音楽に心を傾ける姿勢が後回しになってしまうことも少なくありません。
オーディオの世界では、使用される部品によって音質に対する偏見をもつ傾向が少なからず存在すると感じます。しかし、私はこのような先入観はナンセンスであると考えています。
なぜなら、どの部品にもそれぞれ独自の特性があり、決して「完璧」と呼べるものは存在しないからです。個々の部品はそれぞれ一長一短を持ち、単体での性能だけでは音質の優劣を語ることはできません。さらに、オーディオ機器は複数の部品が複雑に組み合わさって成り立っており、単に「良い」とされる部品を集めたからといって、必ずしも優れた音を生み出せるとは限りません。
本当に重要なのは、部品同士のバランスや、設計者が意図する音作りの方向性です。表面的なスペックや評判にとらわれることなく、実際に音を聴き、その調和を感じ取ることこそが、オーディオで音楽を深く楽しむ上で大切な姿勢だと思います。
音を良くするための努力が、いつの間にか自己目的化してしまう──そこにオーディオ趣味の大きな落とし穴が潜んでいます。
手段と目的のバランスを意識する
オーディオ機器や音質の追求は、本来、音楽をより豊かに楽しむための手段です。
それ自体が目的になってしまっては、本末転倒と言えるでしょう。
大切なのは、オーディオを通じて得られる体験が、音楽への感動や共鳴を高めるものであるかを常に意識することです。
オーディオ機器や部品、再生方式を選択するとき、セッティングを工夫しているとき、いつも自問します。
「この音は、私を音楽により深く引き込んでいるだろうか?」
もし答えが「はい」であれば、その取り組みは正しい方向に向かっていると考えがちです。
ここに落とし穴が・・
音質改善と取り組みに潜むバイアスについて
オーディオの世界では、使用される部品や取り組みの内容によって音質を評価する傾向が少なからず存在します。しかし私は、こうした先入観に左右されることは、真に良い音を追求する上でナンセンスであると考えています。
なぜなら、どの部品にもそれぞれ独自の特性があり、決して「完璧」と呼べるものは存在しないからです。部品は一つ一つ異なる個性を持ち、単体での性能だけでは音質の優劣を語ることはできません。さらに、オーディオ機器は多数の部品が複雑に組み合わさって成り立っており、単に「良い」とされる部品を集めたからといって、必ずしも優れた音が生まれるとは限らないのです。
本当に重要なのは、個々の部品の評価ではなく、それらが全体としてどのように調和し、どのような音を形作っているかです。表面的なスペックや評判に惑わされず、実際に耳で聴き、その音楽体験の中で真価を判断することが、オーディオに向き合う正しい姿勢ではないでしょうか。
また、音質改善に取り組む際には、もう一つ気をつけるべき落とし穴があります。それは、実施した改善策に対して「効果があった」と感じやすいバイアスが働くことです。どのような変更であっても、音質は何らかの形で変化します。その変化自体に対して私たちの感覚は敏感に反応し、それを無意識に「良い変化」と解釈してしまう傾向があるのです。
つまり、努力や期待が大きいほど、それに見合った効果を感じ取りたくなる心理が働きます。これは人間として自然な反応ですが、だからこそ、冷静かつ客観的な視点を持って結果を見極める姿勢が求められます。音の変化に対して本当に客観的な判断ができていると言えるでしょうか?
さらに、情報収集においても同様のバイアスが潜んでいます。インターネットや雑誌、オーディオ評論家の意見など、外部から得られる情報は非常に多岐にわたりますが、それらもまた発信者の価値観や意図を色濃く反映したものです。
ある方法が「絶対的に効果がある」と強調されていると、実際に試したときの感覚もその情報に引っ張られ、本来の自分の判断を見失いやすくなります。もちろん、他者の知見を参考にすることは重要ですが、最終的には自分自身の耳と感性に基づいて評価することが、最も誠実なアプローチではないでしょうか。
オーディオにおける音質改善とは、単なるスペック競争や部品選びではなく、もっと繊細で個人的な探求の旅だと思います。常に自然の音基準として耳を鍛えるとともに、自分自身の感覚を信じ、冷静な目で変化を受け止める。その積み重ねこそが、本当に満足できる音を手に入れるための道のりなのだと私は思います。
まとめ
音質を追求することは、音楽を愛する者にとって自然な欲求です。
しかし、常に忘れてはならないのは、音楽そのものを楽しむことが最終的な目的であるということです。
機材を愛する気持ちも尊いものですが、それ以上に、音楽に心を動かされる体験を大切にしたいものです。
手段と目的のバランスを保ちながら、豊かな音楽体験を求める──それが、オーディオと音楽を心から楽しむための鍵なのではないでしょうか。
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