2024年1月23日火曜日

嵐の前の静けさ

4月から25年ぶりに古巣に部署移動になることもあって、今年は激動の年になりそうです。
役職はこれまで拒否してきましたが、今回ばかりはお世話になった人からの依頼があり断ることができず、仕事内容もまったく未知の世界。


現状の仕事の引継ぎをしてはいるものの、なかなか思うようにいきません。まあ、企業は誰がいなくなってもそれなりに回っていきますので大きな問題はないとおもって半ばあきらめ気味。

思えば入社したころは、メール、Web会議、携帯電話はおろかPC自体がありませんでした。生成AIの出現で仕事の効率も激変しました。ただ、こういったツールは使いかたで大きな差がつくので、いち早くつかうようにしてきたのは自分にとってもかなりプラスに働いてます。

先日のインドネシア旅行の時も携帯電話のみもっていきましたが、実際に資料をつくることがないので、かなりの割合の仕事はできました。しかしながら、対面と比較するとまだまだ効率が低く感じます。ただ、最近入社した若者にとってはあたりまえのことなのでしょう。

趣味のオーディオは、GS1を中心にしたシステムに再度取り組み始めました。かなりのブランクがありますが、自分の持っている技術を総動員して自分好みに仕上げようと思います。



2024年1月21日日曜日

2023年 オーディオ関連

 5か月間海外出張であまり作業をすることができませんでしたが、ユニット前面から以外の音をいかにシャットアウトするかがテーマとしてある程度の進展はありました。

「Model 7Evo」

エンクロージャーが木製の場合低域はかなり通過して外に放出されてしまいます。なにか方策はないかと考え、表面に1cm厚のタイルを敷き詰めました。外への透過が抑えられましたが、コーンから漏れてくる分が多くなり結果、エンクロージャー内部をマフラー構造の朱恩構造としました。これにより、付帯音が抑えられユニットの音離れが格段に向上し、スピーカーとリスニングポイントの間に空間が形成されるようになりました。GS-1の空間形成に近づく方向です。


「小口径ユニット」
木製でマフラー構造詳細検討をし段数を増やすことで効果が高くなるという結果と、低域の遮音性能と重量が比例するということで、コンクリートのエンクロージャーとするとともに、内部に多段マフラー構成としました。ユニットサイズについても10㎝を最大径と決めて検討をし、現状はコーン径が5㎝程度のtang band w3-1878 とMarkAudio OM-MF4-MICAで組んであります。


上向きの設置ですと、前向きと比較すると情報量が少なくなる傾向を強く感じました。















2024年1月13日土曜日

ギター もうすぐ4年目

 



今年度は半分ぐらい出張でなかなか練習もすすまず、現状維持できているか怪しい状況です。
まあ、ゲーム感覚で指の運動をしているぐらいの気持ちで続けてますので、一進一退でも全く問題なしです。

2024年1月9日火曜日

インドネシア一人旅 2023.12.29-30

 いよいよ今回の一人旅も大詰め。

さすがに会社も正月休みになったのでWeb会議もありませんでしたので、遅い朝食をとって午テレビを見ながらゴロゴロしていました。

チェックアウトの時間は通常12時ですが、夜22時30分発のため延長料金を少し払って夕方のチェックアウトに変更しました。当日の宿の予約状況を確認すると満室でしたので延長でいるか心配でしたが臨機応変な対応をしていただき助かりました。

今回のインドネシア滞在中、Web会議以外はすべてインドネシア語でした。相手も多少慣れてきたようで上手に私のレベルに合わせてくれて意思疎通も円滑にできるようになりました。
宿から空港までの所要時間をGoogleMapで調べると1時間程度と表示されましたが、高速のトールゲートまで混雑してなくて30分ぐらいで到着しました。チケットカウンターもまだ空いていなかったため、1Fのベンチに座ってヒューマンウォッチしながら待つことにしました。インドネシア人の女性もすべての人がヒジャブをまとっているわけでもなく、男性もバティックを着ている人は少数です。

20時になったので掲示板を確認したところチケットカウンターが空いたので、3Fに上りチケットを受け取り出国ゲートに向かいました。
出国の際入国の際にスタンプがないのでどうなるかと思ってはいましたが、別段問題なく出国することができました。
出発ロビーは1月の時と比べ物にならないほど便数が増えていましたので人通りもかなり多く感じました。また1月の際はラウンジが工事中で使えず不便をしましたが、リニューアルオープンしていたので早速入りました。PriorityPassは本当に便利です。

座席を確保してメニューを見ながら早速はらごしらえ。せっかくですのでインドネシア料理を注文しました。英語も通じますのでほっとします。


食後のコーヒーを済ませ、体が空港内の温度に慣れてきたので、薄手のセーターを着ました。

深夜便ですので、寝ていれば7時間の移動もさほど苦になりません。

定刻よりも少し遅れて韓国到着。
早朝のトランジットカウンターはだれもいませんでした。今回は剃刀の刃が問題となり没収となりました。

7時間あまりトランジットに要するので、ラウンジでゆっくりすることにしました。早朝ということもあり人気もまばらでした。


荷物を預けたのち、シャワーを浴びてから朝食をとりました。







インドネシア一人旅 2023.12.28

 本来ならば12月27日に行く予定だったボゴールの先の高原地帯のプンチャックへ行くことになりました。
今回は電車を使わず、最初からタクシーをチャーターしましたので楽ちんです。

GoogleMap


インドネシアでは基幹都市を結ぶ高速道路が整備されていて、ETCゲートなども完備されています。AlfaMart(コンビニ)で高速カードを購入してレッツゴー。
車もスズキの新しい車両で快適そのもの。途中登り道で渋滞がありましたが約2時間でプンチャックへ到着しました。

最高峰は富士山よりも高い4884mありますが、途中のパーキングでお弁当をたべました。




近くの礼拝堂でトイレをすませていざ散策。
散策といってもまともな道があるわけではなくて、人か獣が通って踏み固められているところをひたすらすすむのみです。途中しげみを通過して足元をみると、小さなヒルがくっついていました。スリランカでも湿地にはヒルがいましたので注意はしていましたが、今回はさすがに油断していました。

帰り道にモスクに併設されたバザールへいってきました。そこで生姜ベースの甘いお茶をごちそうになりました。作っているところを見るととても飲む気にはなりませんが、郷に入っては郷に従えです。これまでに鍛えられたのか簡単にはお腹はこわれなくなってます。
日も傾き、礼拝の時間になったので礼拝堂へ。サンダルを入口で預けて階段を上っていきました。



18時の礼拝の時間になると、一斉に男性は1F、女性は2Fに分かれてお祈りをしていました。
日ごろの娯楽が少ないのか、市場やバザーみたいなところが至る所にあります。一番強く感じたのは、幼い子供が多かったことでしょうか。


寒くなってきたので、戻ることにしました。途中夕食用にWarung(屋台)で夕食を購入してきまして、友人宅で遅い夕食をとりました。
インドネシアの一般的な家庭では暖かいシャワーではなく、水で体を洗います。そのため雨が降ったりするとたとえ、25℃ぐらいあっても寒いという表現をします。さすがに25℃ぐらいの気温で水を浴びるのは寒いのはわかるのですが、街中でもジャンパーを着ている人をよく見かけます。

いよいよ明日は最終日。




インドネシア一人旅 2023.12.25-27

 相変わらず、午前中はWeb会議。さすがに序盤の猛ダッシュで疲れ果てました。天気もあまりよくなかったので、2~3日は宿周辺の散策と友人宅でゆっくりさせていただきました。






インドネシアの日常なのでしょう。食べてばかりです。


Warung(屋台)での食事


いろんな種類のバクソー盛り合わせ
スープはPedas(激辛)

先日友人が何を食べたいと尋ねたので、Sate(焼き鳥)が食べたいと申し出たところ、朝から準備をしてくれました。
燃料はヤシの皮です

Sate Ayam,Tempe,サラダ


イスラムではお酒は飲まないですので街中で酔っ払いはまず見かけませんが、ナチュラルで酔ったような人はよく見かけます。豚は宗教上たべられませんので、肉は牛(Sapi) 鶏(ayam) 羊(Kambing)です。インドネシア料理は基本辛くありませんので、好みに応じて唐辛子やサンバルを加えて調整します。
家族の方はみなさん手で食べていましたので、試したものの上手く食べられませんでしたのでフォークとスプーンを準備してもらいました。インドネシアの方は上手に箸も使う人が殆どです。

料理を毎日ごちそうになったので、ドリアンをお土産に持っていきました。



インドネシアでは西洋医学のほかにJAMU呼ばれている植物起源の民間伝承薬があります。
私が心臓が弱いことを知って、友人の近所に住む親せきの方がJMAU KUNINGをつくって持ってきてくれました。
友人は高血圧と高血糖で医者に行ってもよくなりませんでしたが、これを朝、晩のむようになって血圧も血糖値も安定したとのことです。シナモン効いた酸っぱいのみもので、健康飲料のような感じでした。

いきなりなにやら長い筒に入ったものを持ってきて取り出すと、古い長剣がでてきました。
柄の近くには日本のマークが入っていて、日本兵がつかっていたものだとのことでした。

インドネシアの文化、風習、食事を満喫することができました。
最初は子供たちも部屋からでてこなかったのですが、毎日訪問しているうちに打ち解けてきました。話によると、外人が家に来るのも初めてだったとのことです。また、友人家族の身長が160cm以下で私が180cm以上あったので最初は怖かったとのことでした。


インドネシア一人旅 2023.12.24

 早朝にシャワーを浴びた後、再び二度寝していたところ、7時に部屋の電話で起こされました。なにやら意味不明な言葉(インドネシア語)が聞こえてきましたが、頭の中の言語はそう簡単には切り替わりません。やっとのことで「朝食は何時にお持ちしますか?」との言葉を聞き取り、「10時」と返答しました。もちろん、返答もインドネシア語で行いました。

8時から2時間ほど、部屋に用意されたコーヒーを飲みながらWeb会議をし、一息ついたところで朝食が持ってきてくれました。もち米とチキンフライ、サラダ、そしてスープぐらいの簡単な朝食でしたが、必要かつ十分な量でした。インドネシアのお米は手で食べる習慣があるため、もち米のように粘り気が高く、しかもある程度冷ました状態で提供されます。

今日はまた海に行くとのことでしたので準備をしながら友人の到着を待ちました。

電車に乗って約1.5時間なにと到着したのは山の中。方角的にそのまま進めば海にはたどり着くのですが意図がよくわかりません。(よくあることですが・・・)


この時すでに午後1時になっていて、海まではまだかなり距離があります。おなかがすいたとのことで食事をするとのことでHOKABENに入り店内のイートインで食事をすませました。
インドネシアの人々の特徴として、あまり先の事を考えずに行動するということを常々感じています。すでに海まで行く電車の最終便は発車してしまったとのことでした。急遽タクシーをチャーターしました。途中、山岳部の少数民族の居住区を通りましたので、異なる側面のインドネシアを垣間見ることができました。

海までランカスビトゥン駅からは約3時間かかりました。車に慣れていない友人の奥さんが車酔ってしまったり、車が轍にはまって動けなかったりして珍道中となりましたが、なんとか到着しました。驚いたことに友人がここでタクシーを返して、また帰りに探すといいだしたのですが、帰りの足を確保する苦労をしないためにもタクシーに帰路もお願いするように依頼しました。

Pantai Berok Anyer




友人(左)とタクシードライバー(右)

ここでも外人は私ひとりだけのようでしたのでタクシーのドライバーに尋ねたところ、ホテルに併設されたプライベートビーチにいるのではないかとのことでした。確かに遠くにきれいで人気のない海岸がありました。


同じ道のりをだどってホテルに着いたときには、日付が変わろうとしていました。とてもハードな一日でした。









嵐の前の静けさ

4月から25年ぶりに古巣に部署移動になることもあって、今年は激動の年になりそうです。 役職はこれまで拒否してきましたが、今回ばかりはお世話になった人からの依頼があり断ることができず、仕事内容もまったく未知の世界。 現状の仕事の引継ぎをしてはいるものの、なか...